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2016年11月24日(木)

深めるサミット

「気づき」について考える【前編】

深めるサミット第3回は「気づき」がテーマ。「気づく」ということはどういうことか?よりよい「気づき」のために必要なこととは何なのかについて深めていきます。

――「気づき」は、前回の「リフレーム」、前々回の「インサイト」とも関連する重要なものかと思いますが、行動観察研究所での「気づき」というのは一般的にいう「気づき」と何か違いがあるのでしょうか。

池田:行動観察研究所 プランナー
「気づき」は「事実+解釈」というように捉えています。一般的に「気づき」というと「事実を認知する」というイメージもありますが、事実に対しての解釈も含めて「気づき」と言えると思います。

松波 晴人:大阪ガス行動観察研究所 所長(以下「松波」)
そうですね、「事実」は誰が見ても「事実」。そこに解釈が加わることで「気づき」になる。さらにいうと、自分の持っている枠組みで事実をジャッジするっていうのは本当の「気づき」ではなくて、そこから自分が学びを得るっていうのが「気づき」です。

――何か「気づき」の具体的な例はありますか。

榊原 俊行:行動観察研究所 プランナー(以下「榊原」)
うちの近所で、よく子供が泣いている家があるんです。 最近のニュースでもよくあるような虐待があるんじゃないかと凄くネガティブに考えてしまっていたんですよ。でも、休日に見かけると一緒に出掛けたり、けっこう仲が良さそうで、どうもお母さんが夜遅くまで仕事をしていて、夜はお父さん1人のようなんです。そうすると、これは虐待ではなくて、お母さんが居なくて寂しくて泣いてしまっていたんだな、というような捉え方に変わったという事があったんですね。

こんなふうに「最初はこう思ってたけど違う理由じゃないか?」という事が思いつくことが、「気づき」じゃないかなと思いました。

矢島 彩子:行動観察研究所 主席研究員(以下「矢島」)
固定観念をすべて取り払った上で「ハッ!」と思う事が、本当の「気づき」なんじゃないでしょうか。着眼点を変えるとか、思考をひっくり返すとか、順行で考えていた事を逆行で考えるぐらいのレベルで得られる「気づき」ももちろん良い「気づき」なんです。でも、さらにその上を行くと、本当に自分の持っている枠組みも含めて、もちろん(枠組みも壊すことも含めて)気づくことができる。

小野 恵:行動観察研究所 研究員(以下「小野」)
私の場合、やはり情報が少ない段階ではいい「気づき」が得られないんです。そういうときは、しばらく様子を見ながら情報を集めるようにしています。さっきの榊原さんの話で、最初は「虐待だ!」という事があっても、情報を寝かせたり、新たに得たりすると行動観察における「気づき」に繋がっていくんです。

――「気づき」のなかに解釈が含まれてくるとすると、「インサイト」との違いは何になるのでしょうか。

松波
「気づき」は「インサイト」の種になるものです。簡単な例を挙げると、会社に遅刻してきた社員をみて、どうやら「遅刻が増える曜日があるな」というのは「気づき」だけど、「それは何故この曜日に増えるのか?」というのは「インサイト」になるのかなと思います。

榊原
休日に遊んでいて、その気分が続いていて、月曜日に遅刻が多いとか。

松波
そうそう(笑)

池田
この例でいうと、会社に遅刻してきた社員をみて、「だらしない人はどこまで行ってもだらしないと気づいた」というのは、本当の「気づき」とは言えないですよね。

松波
その通りですね。「遅刻するのはだらしない奴だ」という、「自分がすでに持っているフレームでジャッジする」という構造の中で試行しているだけですからね。

矢島
長年経験を重ねると、自分が捉われている枠とか、こうあるべきだという姿を感じるようになるんですが、そこをいい意味で打ち崩して行かないといけないな、と思います。

三谷 信広:行動観察研究所 研究員(以下「三谷」)
ここでいう枠組みが、誰の枠組みなのかというのも重要ですよね。行動観察をするときでいえば「自分」の枠組みというよりは「クライアント」の枠組みをより意識します。課題を抽出するプロジェクトの際に、まずはクライアントに何を課題として考えているのか?を聞きます。その課題意識と一致している事実も当然拾うのですが、それとは全然一致しない事も同時に拾う。両方とも「気づき」として上げるようにしています。あと、例えば過去の観察調査でも見られたことで自分にとっては真新しさがないような事実も拾うようにしています。

榊原
三谷さんにとってはインパクトがなくても、クライアントにとってインパクトがあれば、それはクライアントにとっての「気づき」につながるんでしょうね。

矢島
過去と同じような結果が出たとして、「会社や業種が違っても同じなんだ」と捉えるよりも、全然違う企業、違う文化の所を観察しているのに同じようなことが見れたというのはどういう事なんだろう?というように意識を持っていく。その方が、「気づき」の質とか、観察眼とか、事実を拾ってくる力の向上に繋がっていくと感じます。

三谷
あと、あえて当たり前の行動について「どうしてこの人こんな行動を取ったんだろう?」って考えると、意外と発見があるんですよね。その人にとってどのような選択肢が他にあったかを挙げていって、どうしてこっちの選択肢を選んだのか?を深く考えていく。

榊原
行動が生じる要因って無限に選択肢があって、その中で妥当性が高い選択肢はどれなのかを選んでいく、これはすごく高度なことだと思います。ロボットには出来ないことですよね。


―――少し話は変わりますが、言葉にできないような「気づき」というのもあるのでしょうか。

松波
ありますね。特に「家に訪問させていただく形の行動観察」では、観察者が「感じる」ことがありますよね。
たとえば、「この家は家族みんな楽しいです」と言っているけど、本当は楽しくないんじゃないかな?とか、逆に「すごく仲が悪いです」と言っていても、本当は凄く仲がいいんじゃないか?とか、感じるものがあるでしょ。

その感じたものが後でソリューションが出てきた時に、「これは上手くいくんじゃないか?」と判断する基になっている感じがするんだけど、あれは「気づき」なのかな?何だろう?あの感じてくること。そういうことない?

矢島
「気づき」とは、ちょっと違いますよね。「肌感」みたいなもの・・・

三谷
この前、調査であるお宅に行った時に一瞬だけご夫婦のコミュニケーションが取れて、何が原因か分からないけどこのご夫婦は仲が良いんだろうな、と思う時があって。それは何なんだろう?と聞かれると、ほんと雰囲気。言語で表現できないものだな、っていうのはありましたね。

松波
行動観察ではよく、「氷山」に例えて、「氷山の下にある言語化できないものをとらえる」と言っていますよね。「気づき」はまさに氷山の下にあるものを、氷山の上に持って来ることだけど、観察者も言語化できないけれど、感じるものというのもあるよね。

池田
感じるモノは、ありますね。「気づき」と「感じるモノ」は別のものかもしれませんね。

松波
『言語化できない「気づき」』か。

矢島
明らかに言語化できる「行動」と、言語化できないものの間に「所作・振る舞い」があるんです。普通、「所作」とか「振る舞い」はあまり着目されないところなんですが、その人の文化だったり、信念だったりが一番出てくるので、意識をしています。


前編はここまでです。後編はこちらです。より「気づき」を得るためにはどうすればよいかについてディスカッションをしていきます。

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