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「環境心理学で考える」の記事

 前回(「第71回 社会科学の限界」)、さらには予測が外れた場合のエラーがインフレートすることがあると書いたのだが、それについてもう少し考えてみたい。この理由として、「メカニズムを構成する要素として人間が含まれているからである」と書いたのだが、そこには、多くの人の直観レベルにおけるランダムということに対する誤解があるようである。  ランダムとは無作為とい…

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 心理学が社会科学なのか、それとも自然科学かどうかには議論があるところだが、少なくとも完全な自然科学ではない。特に社会心理学や環境心理学の一部は社会科学といっていいだろう。そうした研究活動に携わる中で、日ごろ感じることがある。自然科学と違い、社会科学における基礎的知見は定説化し、ある種の正しい認識として学者、研究者、あるいはそれを応用する人の間で共有され…

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 風土(ふうど)、その場所の自然地理的特徴つまり、気候や地形を示す用語であるが、そうした自然的地理の特徴を反映する、あるいは影響を受けた、その場所における社会習慣や文化などの社会的風土を含むものとしてとらえた概念が、哲学者、和辻哲郎(わつじてつろう)の「風土」の概念である。  実際、風土によって人間の行動は大きく変化する。そして世界各地には現在のわれわれ…

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 経済用語にフリーライドという言葉がある。これは、正当な対価負担を行わずに、便益だけを享受する行為をいう。なぜ負担をしていないのに利用可能な便益が発生しているかといえば、それは他者が負担しているからである。たとえば、費用負担をしていないのに、道路を使うことはフリーライドということになる。また、集合住宅や町内会で清掃が行われているのに、それには参加しないで…

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 ゼミでの学生の発表を聞いていて少し驚いたことがある。質問紙調査のデータでは、嫌いな色の上位2つが緑と茶色だそうだ。どちらも自然の色・アースカラーの代表色である。短絡的な反応ではあるが、自然というのはそんなに好かれていないのではないかと思いがよぎった。  第41回 「自然が好きだ」の正体:野生と飼いならされたもの でも一度議論したように、多くの人は自然環…

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 日本では、行き止まりの道路を嫌うことが多いが、住宅地の生活道路は住人や訪問者のみが使用できればよく、むしろ近道やすいた道としての通り抜けが起きないように行き止まりにしておいたほうがいいともいえる。こうした考えは、欧米では普通であり、住宅の開発においては各家屋の前の道路をcul-de-sac(アメリカ人はカルデサックと日本人はクルドサックと発音しますが、…

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 前回第65回 [都市東京の雑感(1)」では、東京が洪積層の高台と沖積層の低地が組み合わさった場所であるというところで話が終わった。今回はその続きである。  そうした洪積層の大地が山の手であり、沖積層の低地が下町である。もともとの意味では、山の手と下町とは地形に基づくものであったわけで、山の手に対して、本来は下町ではなく海の手が対応する地名になっていたと…

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 都市東京についてまず思いつくことをつらつらと。  前回第64回 [都市生活はエコである」でも書いたけれど、現在世界最大の都市である。行政区としての東京都の人口は1.3千万人だが、実態としての都市として東京(圏)は神奈川、埼玉、千葉の一部まで広がっており、その人口は3千万人を超える。これは世界最大の人口を持つ都市圏なのである。  集合住宅が約7割。東京は…

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 世界で一番大規模(人口の多い)都市はどこか。答えは東京である。都市の定義にはいろいろあるが、行政区分にかかわらず連続する人口集積・高人口密度の範囲は1つの都市と見なすことが多いので、行政区としての東京都の人口は約1.3千万人だが、東京(圏)の人口は3千万人を超える。この場合の東京(圏)の範囲は神奈川のとくに西部から千葉の東部、埼玉の南部など東京に接続す…

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 前回、第62回「科学エッセイ」書いたように今回は寺田寅彦の電車の混み具合の変動とすいた電車に乗る方法に関する随筆「電車の混雑について」について紹介しよう。  大正時代にも東京の市内電車(当時は東京都ではなく東京市といった)は満員だったらしいが、やや病弱だった寅彦は満員電車を避け、すいた電車に乗るための方法を見つけていた。それは、すいた電車が来るまで待つ…

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 科学者が書くエッセイには伝統がある。たとえばカール セーガンは多くのエッセイ・啓蒙書を書いており、たとえば「コスモス」はテレビにもされ日本を含めて世界中で大きな反響を得ている。また、エッセイというのとはやや違うが、チャールズ ダーウィンの書籍はすべて研究者のための専門書ではなく、一般書として出版されている。  専門書と一般書の違いは文章の平易さ、難解さ…

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 少し前のことであるがこんなニュースがあった。JAXA(日本の「宇宙航空研究開発機構」)の観測衛星あけぼのがまもなくその機能を停止するが、これまでの26年間にあけぼのの観測データを用いて書かれた論文が博士論文、修士論文を含めて500以上になる(2015年4月18日付け The Yomiuri Shinbun オンライン版)。あけぼのはオーロラの観測衛星な…

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 前回第59回「まとめると変わるもの(1):合成の誤謬と生態学的誤り」、経済学における合成の誤謬と社会学における「生態学的誤り」の話をした。いずれも、全体と部分の意味や解釈が一致しないという話である。  さて、さらに統計の用語として「シンプソンのパラドックス」というものがある。これは「ある集合・集団における統計的な結果が、その集団・集合を分析した場合の結…

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 経済学の用語に「合成の誤謬」というものがある。誤謬(ごびゅう)というのはあまり見なれない言葉かもしれないが、論理的な間違え(正確に言えば、論理的な誤りがある妥当ではない論証)のことである。  そして、合成の誤謬とは「単独で行われた場合では合理性がある行為が、多くの主体によって行われ「合成されると」、望ましくない効果や結果を生み出すこと」を意味している。…

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 犯罪不安とは“fear of crime”の訳語である。「“fear”とは恐怖のことなので、本来は犯罪恐怖と訳すべきなのだが、日本では恐怖という言葉を使うにふさわしいほどの犯罪情勢が悪化・社会病理化していないので、それよりも強度の弱い言葉として不安という訳語が定着している」とぼく自身もいろいろなところで説明してきた。  しかし、よく考えると、心理学にお…

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 前回、第56回「坂道についてまたまた考える」で書き残したことがあるので、やや続きである。もう1年以上前になるが、けがを化膿させ大学病院のお世話になったことがある。その帰りに処方箋で薬を買う必要があった。  とても大きな大学病院なので、その前の道路には複数の処方箋薬局があった。たぶんその道路沿いだけで5軒位あったと思う。その大学病院に通院した最初の日の帰…

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 TVゲームの中に有名なエクササイズのソフトがある。CMも盛んに流されていたのでご存知の人も多いだろう。その中にジョギングをするプログラムがある。それは、画面に映る移動していく風景を前にして、単にその場で足踏みをするだけのことである。  画面にはジョギングをするルートがランナーの視点で展開していく。そして走っていくと普通の道だけではなく、トンネルだの橋だ…

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 最近よく思うのだが、理系と文系にはそれぞれ典型的な誤りのパターンがあるのではないだろうか。典型的な理系の誤りとは「問題の設定を間違えること」である。つまり、設定された問題に対しては理論的や実務的に正しい答えを出しているのだが、そもそもその設定した問題自体が正しくないということである。とくに、問題の設定において、どこまでを範囲に含めるか、何を範囲に含める…

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 前回、第53回「昔はよかったのか(1):客観的にはよくないのでは?」は、高度成長期と現在の治安と衛生の状態を比較し、客観的な環境としては現在のほうがはるかに望ましいのだが、それでも「昔はよかった」と言われることがあるのはなぜなのかという疑問を提出したところまでであった。  現在の「昔はよかった」時期の多くの部分は戦後の高度成長期であろう。高度成長には確…

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 海外に行くときに一番気がかりなことは、現地の治安と衛生状態ではないか。犯罪が多いと聞けば、多額の現金を持ち歩かないようにしたり、うかつに裏道に入り込まないようにしようと心がけるだろう。衛生状態が悪いと聞けば、生水を飲まないようにしようとしたり、屋台の食べ物を食べるのはほどほどにしようとするかもしれない。治安も衛生も命にかかわることであるので、つよく意識…

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